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シンプロン・オリエント・エクスプレス

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【実車】オリエント急行。この遙かなる響きを持つ列車は1883年、パリから欧亜境界コンスタンティノープル(→イスタンブル)を結ぶ当時最も華やかで最も早い列車の一つとして運転を始めた。所要81時間。当初特別の名前はなく、欧州から見て文字通り遙かなる辺境・オリエントへ向かう列車として自然発生的に呼ばれ始めたのを運行会社が採用したものと言われる。その後1919年、シンプロントンネルを通りヴェニスを経由する当列車「シンプロン・オリエント・エクスプレス」が登場。イスタンブルまでは56時間で結ばれメインルートに躍り出た。当列車を世界一の知名度に押し上げたアガサ・クリスティ「オリエント急行殺人事件」の舞台もこのシンプロン急行である。

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さてこの列車および使用されたワゴンリ社(Compagnie internationale des wagons-lits et des grands express europèens/略CIWL)の車両はその豪華な設備とサービスで知られる。これはこの時代、国境を越えて旅行するのは王侯貴族や高級軍人、スパイ(!)など、それなりの地位とお金を有する人々に限られたためで、応じて走る一流ホテルといった有様となった。マホガニーの壁やドア、トルコ絨毯にゴブラン織りのソファ……といった案配で、1輌に1名ずつホテルボーイに相当する給仕がつき、客の求めに応じて飲み物や食事の上げ下げ、ベッドの組み立て解体、そして暖房およびお湯を供給する石炭ボイラーの火加減を夜通し管理する。その旅費は「ロンドンで召し使い付きのアパートを1年間借りられるほど」だったという。
しかしその華やかな時代もつかの間。第二次大戦で運転が復活する頃には航空機が一般化し始め、主な利用客は航空機に移って斜陽化。車両の陳腐化も手伝い、1977年、定期運転列車としてのオリエント急行は歴史の彼方に走り去ったのである。

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【模型】Nゲージの「オリエント急行」と称する商品は、ワゴンリ社の客車のうち、Lx寝台車、食堂車WR、荷物車Fなどで、イタリア・リバロッシが1970年代から販売していた。1988年に「オリエントエクスプレス’88」として列車が来日走行した際には、外国型模型の専門店がこれをイメージしたオリジナルアソートのセットを販売、「開店前に入居しているビルを取り巻く行列が出来た」(店主談)そうである。その後リバロッシは破産、Nゲージ開発メーカであるドイツ・アーノルト社に生産は引き継がれたが、ここで権利関係のいざこざが発生、製品はしばらく市場から姿を消した。
土日鉄道にいるのは2006年、突如「シンプロントンネル開業100年記念」としてアーノルトから再発されたもので、荷物車×2、Lx寝台車×2,食堂車WR×1の構成である。世界一有名な寝台特急にしては編成が短いようだが、資料に拠れば実際4~5両編成だったようで、逆に言うと利用していたお金持ちはその程度だったということだろう。ヴェネチア以東は編成を更に短くしていたこともあったようで、クリスティのシナリオは別段ご都合主義でもないのである。なお、模型のプロトタイプであるLx寝台車は1両に1人用個室10室、すなわち定員10名の破格なもので、これは本来パリ-コートダジュールを結んだ夜行寝台「トランブル」(le Train Bleu)向けの車両で、オリ急向けにはもうちょいランクの落ちるS型寝台車が主に使われていたようだ。なお、復古した観光列車である別掲ヴェニス・シンプロン・オリエント・エクスプレスはS型が2両で後はLx寝台車である。S型の模型は「L.S.Modeles」が予定してかれこれ7年近くになるがいつ出てくるやら。


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