SSブログ
前の10件 | -

東武鉄道6000系 [鉄道]

TB6000.jpg

【実車】東武は1929年、日光線杉戸(→東武動物公園)-東武日光間を全線一気に複線電化開業。合わせて特急列車の運転を始めたが、特急の止まらない各駅と浅草方面への長距離利用者に配慮し、2扉クロスシート(車端部ロング)トイレ付きの車両を用意、戦後1958年より「準快速」の運用を始め、1964年、この区間の快速運転専用車6000系を投入した。McTcの2両ユニットで8000系ベースの空気バネ台車・カルダン駆動とし、運転最高速度は105km/h。日光線の連続勾配に備えて発電ブレーキを搭載し、これらの結果「もう機器を搭載するスペースがない」との理由で冷房装置の搭載・追っての冷房化はなされなかった。なお快速なので運賃(乗車券)のみで乗車できるが、同一車両を用いた「快速急行」として座席指定の「だいや」「おじか」なども運転された。ただ、この「快速急行」は「急行より速い」という意味ではなく、別掲急行車1800系(冷房付き転換クロスシート)に比して接客サービスが劣ることから「快速以上急行未満」という意味であったようだ。そのままおよそ20年にわたって浅草-東武日光・新藤原間を下今市で分割併合して馳せるわけだが1985年、新藤原より先、野岩鉄道・会津鉄道が開通し、これら線区への乗り入れが決定、本系列は冷房付きの車体に載せ替えて6050系として生まれ変わり、隅田川のほとり浅草駅から雪煙蹴立てて長駆会津高原に達した。しかし令和の世になり経年著しく、東武側の施策もあって「日光線快速」の歴史と共に2022年、虹の橋の彼方に走り去った。業平橋にそびえ立つ例の電波塔を見込んだ観光列車「634型」に再改造された4両と、6050系として仕様を揃えて新たに製造された野岩鉄道所有車4両が半分保存目的で現存している。越谷住みだったので春日部までノンストップのこいつは基本的に無縁の存在だったが、父親にせがんでDRCに乗せてもらった際、「きぬ」から日光へ向かう乗客を運ぶ下今市ー東武日光間の連絡特急に充当されていて乗った遠い記憶があるが、詳しい印象は残っていない。なお、6000系時代は「最高の乗り心地」だったとか。

【模型】モデルはトミーテック「鉄道コレクション」。22年秋再発品。鉄コレは「ディスプレイモデル」すなわち飾って眺めてねというコンセプトの商品だが、オプションの「走行化キット」と動力ユニットを組み込むと「Nゲージの線路を走ることが出来る」……ただそれではライト類は皆無で、完成品モデルの1800系、1720系に対して見劣りするほか、鉄コレ動力もイマイチ気に食わないので、別記事によるガレージメーカー商品とグリーンマックスコアレス動力で「鉄道模型化」をもくろんでいる。

【運用】東武モードで快速列車としてぶっ飛ばす……なのだが、ライト取り付け改造で走行抵抗が非常に大きく、実車現役時代に比してやや控えめに運行。

【改造】詳細は別記参照。
・パンタグラフ・車輪は鉄コレの走行化キットに置き換え。連結器は全車ボディマウントTNカプラ化。
・ISM_WORKS製集電・ライト点灯化パーツでヘッド・テール・室内灯を点灯化
・動力はGM製コアレス動力を組み込み。

TB6000L.jpg


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

鉄コレ「東武6000系」をNゲージ化する [鉄道]

GIrHGpab0AAJC33.jpg

●冒頭の能書き
昭和50年頃越谷に住んでいたボクチャンとしては、東武コレクションの優等車は当然こいつらになる。だが悲しいかなマイクロエースとはいえ完成品で出てきたDRC、「りょうもう」に比して6000系は鉄コレ止まり。なんで?地味だから?
「鉄コレはNゲージ化パーツあるやん」
そうなのだが、車輪とパンタグラフを交換し、専用動力ユニットを組み込む。それで「Nゲージの線路を走らせる」ことは出来るようになる。ただ。
・ライト類非点灯
・鉄コレ動力は土日鉄道的には難あり
ライトは自明なので動力についてブツクサ書いておく。こいつを「本家トミックスよりスムーズ」と評する向きもあるがおいらはそうは思わない。確かにフライホイール積んでいるが、それこそ東武の超多段制御みたいなゆっくりした滑り出しはイマイチだし、構造的に耐久性どうなの?と疑念を抱く簡易な構造をしている。大体、分解メンテを考慮した構造じゃない。あと、常点灯(チョッパ制御)突っ込む前からなのだが、土日鉄道で走らすと車輪が汚れやすくギクシャクしたり止まったりする。軽いのでレールへの粘着力不足だと思うが「鉛板で加重」しようにもスペースがない。
一方、鉄コレというのはシリーズの発売が開始されて20年以上が経過したが、この間の電子部品小型化と3Dプリンタの普及を踏まえ「鉄コレをディテールアップするパーツ」を販売する個人事業主・ガレージメーカが多数現れた。今回2022年秋の鉄コレ6000再発に際し上記ライト関係を調べたところ、「ISM WORKS」さんが手持ちの工具と簡易な工作で取り付けられそうな製品を発売。また動力に関しても台車枠の取り付け関係が共通なグリーンマックスコアレス動力を押し込めそうと判断したので購入に踏み切り、ライトと動力をアップグレードすることとした。以下その際の工作の記録である。

1.ライトの取り付け
●製品概要と構成
GIrrYXUbkAAb0Zf.jpg

購入したのは集電装置、ヘッド・テールライト・室内灯。

GIrsrmsaQAAu9XB.jpg
集電は銅の成形品を車輪と軸受けの間(ピボット軸上)に載せるモノで、台車枠にドリルで穴を開け、成形品から現在のトミックスやマイクロエース製品と同様に銅製バネで取り出す。通電は導電性粘着剤を用いたアルミテープで行い、台車周りから車体内側までベタッと貼り付けて、バネから車内へ取り込み、ライト類へ通電する。ライト類はヘッド・テールがフレキシブル基板にLED類をはんだづけしたもの、室内灯はプリント基板にLED類をはんだづけしたものである。この「プリント基板に電子部品」をカスタムで作ってくれるところが増えたのは、この手の改造・ディテールアップに大きな味方。

●組み立て

GIrxT-6bsAE1iuk.jpg

台車内側補強リブの間に穴開け。こればかりはピンバイス(ドリル)が必要。

GIr21vpaEAA-H5I.jpg

銅成形品の集電板をセット。OK。

GIr21voasAA9W-u.jpg

その集電板とバネで接触する車体側電極は、付属のアルミテープに同封の型紙を貼り付け、型紙の位置に書類用の穴開けパンチでガシャン。穴開けパンチを利用するのはナイスアイディア。

GIr7lbwb0AAwG3m.jpg

フレキシブル基板に実装されたライトレンズと電子部品類。21世紀ならではの造作物。

GIr8H_Ka8AABrg3.jpg

製品レンズを外してこの基板をはめ込み、そのためのスペースとアルミテープ配線経路を確保するため、製品のガラスパーツや運転席パーツを説明書通りに切り落とす。

GKkR5QsbkAAbILb.jpg

室内灯は屋根の裏に両面テープで貼る。ぶっちゃけ、集電セットだけは購入し、室内灯自体はグリーンマックスなどでも良いかも知れない。

GKkF-2sbsAAOeWS.jpg

車体と組み合わせた集電部。ピボット軸に銅板成形品の集電シューが載り、台車に開けた穴からバネでアルミテープの集電板を経由し、車体へ引き込む。このアルミテープが入る位置は一つ前の写真の通り、車体と台枠を固定する爪の位置になっていて、車体を載せると爪が噛み込んでアルミテープの接触も担保される。

GIsF0WTbUAAzTZ.jpg

点灯テスト。OK。集電はトミックスの旧集電(キハ10系などで継続使用)と同様なので、走行抵抗はかなり大きい。

2.グリーンマックスコアレス動力の組み込み

GIrJawPbkAAQ9GD.jpg

単純に載せるとこう。GM動力の方が鉄コレ動力より幅が広い。従って削れば良い。逆だと大変だったところ。

GIrKGDdbEAAPMdN.jpg

ノギスあてがうと鉄コレ15.55mmに対しコアレス16.55mm。うんはまらない。でもってコアレス両側を0.5mmずつ切り落とす。

GIrLBPOaEAAbhqz.jpgGIrLbttb0AA9-3d.jpg

コアレス動力をよく見ると、蓋モールドの両側に車両側に引っかかる爪として機能するモールドがあって、この幅が0.45mm。すなわちこいつ切り取れば収まる。要するに幅の広いところと狭いところがあるので、広い方をカットして狭い方に揃える。

GIrR1_dbUAA5eNr.jpg

床板もちょっと長いのでカット。

GKkF0YHaEAAQY1Y.jpg

床下機器。鉄コレの場合、元の床下機器を動力の床下に付け替える。このため床下機器にはハメ込み用の●ポチが付いているが、GMコアレスにこれは邪魔なので、切ってゴム系ボンドで貼り付ける。ただ、そのまま貼り付けると床下機器がかなりはみ出すので、モールドをカットする。「どうやって」となるのだが、写真矢印の通り金型の合わせ目パーティングラインが入っているので、これを目印に外側の造作を残して内側を切り落とす。

GKkUCueagAATeZC.jpg

いい感じ。なお、6000系は2両1ユニットとし、浅草からは6連で出発、下今市で分割併合……という運用が基本だったので、写真のような「先頭車同士の連結」が発生する。関連のカプラー類は皆無だったので、今回は合わせて全車TNカプラーとした。



走らせてこの通り。なお、動力ユニットの室内灯はトミックスの白色で、他の車両と点灯時の色味を合わせるため、ガンダムイエローで塗りたくってあります。GMコアレスには後から追加出来る座席モールドがあるので、黄緑色っぽいのが出たら付けてみましょう。

●特記事項
・走行抵抗はかなり大きいので、急発進/急停止すると動力台車が脱線する
・勾配については2×3の6連で当線の八巻ループ(2.3%)は登れる。
・できあがりはかなり個体差がある。鉄コレはTNカプラを正式にサポートしていない。以上よりズレや傾きが出る可能性があるので各自調整のこと。

スピード出すにはちょっと怖いんだよなぁ。越谷駅を軽やかに通過していったあの感じ出せるかなぁ。

nice!(0)  コメント(0) 

帝都高速度交通営団3000系 [鉄道]

T-met_3000.jpg

【実車】関東の私鉄は「山手線の駅」が終点で、旅客増大が見込める「その内側」へ路線を延ばすことを悲願としていた。また、このことは山手線および私鉄との乗換駅に激しい混雑をもたらしており、打開策を見いだす必要に迫られていた。そこで、都心を横切る地下鉄で私鉄同士を接続し、私鉄と地下鉄を相互直通運転する、という構想が生まれ、渋谷を起点とする東急東横線と、北千住・浅草を結節点とする東武伊勢崎線を接続する「都市計画2号線」として帝都高速度交通営団(→東京メトロ)日比谷線の建設が決定された。
すぐに相互直通の段取りが始まったわけだが、両社線は電気方式・線路幅は同一である一方、日比谷線内に急カーブが見込まれたことから20m車の導入を断念、直通車は18m3扉パンタグラフ集電(合わせて給電システム「剛体架線」を開発)最大8両とされ、これに基づいて営団が製作した車両が3000系で1961年に登場した。当初2両であったが、開業区間の延伸と東武伊勢崎線との直通運転開始に伴い輸送量が増大、1970年には全編成8両化が完了している。車体は鉄骨にステンレスのガワをかぶせたセミステンレス車体(地下鉄=銀色というイメージの原点)、走行系は高加減速と乗り入れ先での高速運転を視野に全車電動車方式を採り、空気バネ台車に75kW電動機を搭載し戻しノッチ付き超多段制御で駆動する。内装はオールロングシートで冷房装置は搭載しない。立ち客用のつり手はバネを組み込んだプラスチックの握り輪「リコ式」を取り付けたが、後に通常のつり革に変更されている。以降10年間にわたり総数305両(事故代替1両を含む)が製作され、東横線は菊名、伊勢崎線は東武動物公園まで乗り入れ、重通勤線区の輸送に勤しんだ。なお、この区間は「東武-営団」または「営団-東急」のどちらかで、3社線区を通す現在の半蔵門線を介したような運用は存在しない。1980年代後半になると製造から20年が経過し、老朽化と何より「非冷房」であったことから後継の03系による置き換えが開始され、1994年に全車都心の鉄路を離れた。引退後は39両が長野電鉄に譲渡され1993年から令和に至る2023年まで運用し、使命を全う。台車や電動機などは富山地鉄や一畑電鉄で引き続き利用されている。越谷住みだった幼稚園坊主にとってコイツは「銀座のデパートにお出かけする電車」。地下鉄線内の急カーブでキーキーと軋り、父親に抱かれてリコ式をびよんびいよん動かして遊んで、でも後期車が増えると「ドア窓が高くて幼稚園坊主には外が見えない」から嫌いになってしまった。

GJhV7M6aMAAY9Vl.jpg

(幼児には届かないんだよ)

【模型】Nゲージの営団3000はマイクロエースとトミーテック「鉄道コレクション」で、これはマイクロの中古。たまたま、中古屋のサイトを眺めていたら転がっていたので拾った。ムラムラして東武8000も一緒に揃えた。ほぼ手つかずで換金用(クレカで決済し、すぐに中古屋に売り飛ばして幾らか現金で手元に環流する)に買ったと見られる。スタイルはもう少し丸みが欲しい気がするが何せ幼稚園児の視点と記憶。ディテールは甘い。超多段制御のズラリ並んだあっぱっぱーの抵抗器がレリーフなのは何とかごまかしたいな。18m車なのでアーノルドカプラーによる連結面のガバガバは相対的に目立つのでTNカプラにしてやろうか。

【運用】東武モードの銀一点。


nice!(0)  コメント(0) 

東武8000系 [鉄道]

IMG_0316.jpg

【実車】戦災による車両の被害は私鉄でも大きく、この救済のため、運輸省が別掲モハ72・73の改良前系列モハ63を幾らか私鉄各社に割り当てた。大手私鉄の一般車が軒並み「20m4扉」で揃っているのはこの払い下げ車が以降の基準になっているからである。さて東武はモハ72・73と同型車を自社アレンジして発注、以後モハ78系列として引き続き製造していたが、昭和30年代後半になり、国鉄を始め同業各社がカルダン駆動・全金属車が標準となってきたところで、床が木製の吊りかけ駆動を作り続けるのは如何なモノかとなったようで、新設計の運びとなり1963年にデビューした。内容はカルダン駆動はもちろんのこと、空気バネ台車にバーニア抵抗を使った超多段制御と面目を一新した。ただ「空気バネ」は「ラッシュ時と閑散時で車体の高さが変わるのを防ぐのが目的」で、「副次効果として乗り心地の向上が図られた」とか酷いことが書いてある。また、バーニア制御で滑らかな加速が得られた一方で、カルダン駆動車のデファクトスタンダードだった発電ブレーキが省略されたため、最高速度域からでも空気ブレーキ一辺倒となり、ブレーキシューの放つ独特の臭気が「東武臭」(東武シュー)などと言われるようになった。さておき、時あたかも高度成長期で乗客数の増加は著しく、「作っても作ってもまだ足りない」状況も手伝い、およそ30年にわたり令和の現在をして私鉄界最多を誇る実に712両が製造されるに至り、「東武と言えば8000系」とか「私鉄版103系」などと呼ばれるようになった。

GJ_8bT5bcAAtOkB.jpg

当初ツートンカラーの4連と2連がデビュー、1972年頃から冷房化とセイジクリームへの改造・塗色変更が始まり、6両固定、8両固定、そして10連と編成バラエティも拡大、伊勢崎・日光線系、東上線を問わずあまねく活躍。「東武と言えば8000系」なわけだが、通勤メインの浅草・池袋口はさておき、1時間に1本のような区間や宇都宮や伊勢崎まで走り通すロングランまで4扉通勤型のコイツだったわけで「旅行」目的の向きにはメゲた(特急「きぬ」から乗り継ぐ下今市-東武日光間の「連絡特急」にもしれっと使われていた。デラックスロマンスカー下ろされて最後の1駅8000系かい)のではないか。その後も塗色変更や前面のすげ替えなど改良と延命を繰り返して使われ、東武博物館所蔵車となった8111編成がピカピカに保持されている以外、登場から60年を経た令和の現在順次廃車中である。幼時越谷にいたので「毎日見る電車」「良く乗る電車」。「涼しくて、明るくて、貫通路に両開きの扉を備えた奴」が新規に入って来たのを良く覚えている。この時代、各駅停車は50~60km/hまで加速すると惰走に転じて次の駅まで、という実にまったりした「がたん・ごとん」な走りだったが、今にして思えばブレーキシューの節約だろうねぇw

【模型】Nゲージの東武8000系は遠く昭和に当時のマイクロエースが全金属車体+フライホイール動力というはっちゃけた仕様で登場、しかし生産数が非常に少なかったのだろう、住んでいた名古屋の模型屋で遂にお目に掛かることはなかった。その後21世紀になって現在のマイクロエースが新設計で発売、令和になりKATOが出すと聞いて期待したが、最終形態の顔違い色違いであり「KATO製の初期仕様車」が出てくるには10年以上掛かると判断、諦めてマイクロエースの中古をかき集めた。幼い記憶の姿と随分違う気がするが「視点」も「視野」も違うのでまぁいいわ。クリーム2編成と「復活塗装」1編成の計3編成調達。

【運用】これで名鉄に続き「東武モード」が完成。単独で運用できる。各停2編成と準急(昭和50年頃の)にしている。

【改造】
・動力はいろいろいじったがカーブで速度が変わったり、そうでなくてもギクシャクしたりと復活不能と判断、同じマイクロエースの8000系更新車用フライホイール動力をネットオークション等で調達して換装
・トレーラー車は車輪をトミックス新集電(品番0653等・ポン付け交換可能)に置き換え、集電バネもトミックスのバネに置き換え
・行き先・種別幕シールはGMやサードパーティ製のモノを調達。


nice!(0)  コメント(0) 

電気機関車EF55形式 [鉄道]

EF55.jpg

【実車】別掲モハ52と同様、時の鉄道省が世界的な流線型ブームに乗って1936年に3両だけ製造。流線型なのは片側だけで、反対側は回送運転などに対応した簡易な構造があるのみ。従って終点ではSLと同じく転車台などで向きを変え、流線型を反対側先頭に付ける必要がある。という出自で判るように完全なPR用・人寄せパンダで高速化のベース機種、というものではない。メカ的には1932年のEF53形を基本にしており、定格出力1350kW・軸配置2C-C1・最高速速度95km/h。沼津に配置され、当時電化済みだった東京-沼津間で特急「つばめ」等を牽引。「特急機関車」をアピールした。ただ現場では特殊な存在ゆえに毛嫌いされ、戦争はどうにか生き抜くものの、1960年代いったんその姿は線路上から姿を消す。1986年にイベント機関車として1号機が復古され、別掲サロンエクスプレス東京編成の牽引や、D51498と組んだ企画列車などで運用された。界隈ではフィンランドの有名なカバ形妖精のキャラクタ名で呼ばれる。2008年まで運用され、引退。鉄道博物館で余生を過ごしている。

【模型】EF55は先輪を覆う形でカバーがあり、実物より遥かに急なカーブを走るNゲージでは先輪がこれに当たるため、模型化は最難関の形式であった。スカートの内側を削ったり思い切りよくダミーにしたりなどの工夫があったが2023年、KATOは動台車の回転軸を第1軸の位置に置くという大胆な発想でこの問題を解決、

EF55under.jpg

R280クラスの通過を可能とした。

【運用】旧型電機の一員として56,57,58等と一緒に動かす。特に特急・急行専用というわけでもない。春野宮サイドも思沢サイドも機関車の方向転換設備は持つので特に運用上の問題も無い。


nice!(0)  コメント(0) 

14系700番台「サロンエクスプレス東京」 [鉄道]

14_700.jpg

【実車】余剰になったり老朽化した車両はリニューアルをかねて臨時・団体向けの特殊な内装を備えた列車に改造する……という流れは、旧型客車をお座敷客車に改造した頃から定着したが、当編成はそれまでの「和風」から一転、ソファを備えた6人個室と、編成両端にホテルのラウンジのようなパノラマサロンを配置した「欧風客車」として1983年に登場した。改造ベースは14系座席車で、両端のパノラマ構造スロフ形式はオリジナルから前後反転してある。愛称は「サロンエクスプレス東京」1984年ブルーリボン賞。当編成の出現で和風以外のパターンも加わったことから、その後この手の列車は「ジョイフルトレイン」と呼ばれることとなる。
登場後は各種臨時列車・イベント列車の他、「サロンエクスプレス踊り子」「サロンエクスプレスそよかぜ」等として伊豆や軽井沢などにも顔を出した。電源も空調も自己完結しているので牽引機の制限はないが、お召し列車牽引の減少でヒマの多くなったEF5861号機や、復古されたEF551号機などが先頭に立つ姿が多く見られた。これは色調と流線型の外観が当編成の外観に似合いだったためもあろう。需要の変化で1987年に見た目そのまま掘りごたつを備えたお座敷客車「ゆとり」に改造。2008年に廃車された。

【模型】Nゲージはベースの14系を模型化していたトミックスおよびKATOから登場。KATOの方は連結面間隔を縮める効果のある「伸縮カプラー」を備えていたが、当時のそれは効果が薄く、少々登場が早すぎたようだ。伸縮機構自体は令和になって当然のボディマウントタイプのカプラーに引き継がれている。土日鉄道にいるのはトミックス製で、途中台車を新集電に変えた以外は当時のまま。

【運用】定期運用は持たないが、たま~に東海道モードで「サロンエクスプレス踊り子」もどきや、武蔵野線モードで枯れ木も山の賑わいとして茶色いゴハチやムーミンさん(EF551)に引かれて走る。


nice!(0)  コメント(0) 

設定を変える [鉄道]

GGCjNW6awAA31kh.jpg

KATOの新しい平成初期頃の211系(なんだそりゃ)。

お迎えして運転するわけだが、時代に合うお供の特急はそのままだと「また」185・251になってしまって面白くないじゃないのさ。

なのでちょっと変える。まず185は後継に255が汎用特急車として据えられたものとする。

IMG_0061.jpg

251が担っている「ちょっといい特急」は客車の静粛性を生かして……みたいな思想が生き残っていて、実物でも臨時で走った「サロンエクスプレス東京」を起用するものとする。

GGHCtoubEAE6hcB.jpg

……何年ぶりだこいつ線路載せるの。

GGHCtoubwAAPzgV.jpg

機関車は色と形つながりでゴーゴーさん。実物でもこの組み合わせありましたね。ただ伊豆急下田に突っ込むと向きが変えれんかったと思うが。

GGHCoQHbUAAhSga.jpg

荷物列車は生き残っているものとする。バンニングしてパレット積みが出来ないような宅配荷物は荷物列車の出番、ということで。機関車は碓氷峠から放り出された62が引き続き担当。ただ、こいつの後釜と老朽化著しい旧客改造荷物車後継が課題と。

GGHCoQEboAAvr71.jpg

短いホームを有する常若駅に止まる短区間運転用4連は保存車の流電。土日鉄道は保存鉄道の側面もあるから良いのである。

GGHCtpVaAAAiOqK.jpg

お前らはまぁ。

GGC6hw-bQAAxZR2.jpg

Ready to run。

nice!(0)  コメント(0) 

811系 [鉄道]

811.jpg

【実車】別掲423系等の老朽化を迎えて1989年にJR九州が最初に製作した一般型車両である。交流専用として設計されたことからサイリスタ位相制御を採用し直流電動機を駆動。最高速度120km/h。内装は転換クロス・トイレ付きで、臨時急行への運用も想定されている。博多周辺の快速列車を皮切りに北九州地域で広く活躍、乗ると国鉄形の乗り味だが風景が九州で内装が221っぽいので変な錯覚を覚える。近年、リニューアル工事を受けてVVVFインバータ制御への改造とロングシート化が進行中。
【模型】Nゲージの811系はマイクロエースが出しており土日鉄道にも在籍していたが、カーブで異音を発して減速するという寿命っぽい症状が出たため運用中止。代打で別掲415系1500番台を調達したが、2023年末、グリーンマックスから発売されて再度入線した。ディテールはペラいが車両間の距離が異なるとか高さがガタガタとか基本のなってないマイクロ製とは雲泥の差。
【運用】JR九州の30年分に対応できる。基本、普通列車で運用。


nice!(0)  コメント(0) 

初期のマイクロエース動力機構について [鉄道]

GDJ9890bcAANQqR.jpg

この辺の「フライホイール搭載前」の連中ね。経年20年くらい。

モータはトミックスM-5に換装済み。そもそも絡んだホコリを取るにも全バラシが必要だが、この座席裏の通電板(バスバーw)が錆びるのでついでに磨いている。で。

カーブで異音を発して速度が落ちるようになって来たのよ。何らか駆動系の負荷が増えているか、ギアがマトモにかみ合わなくなってきたのか、それは判らない。ちなみに最初にこれを発症したのは811系で、こちらはグリーンマックスに買い換えたのでぶっちゃけ追求はしていない。が。映ってるラピートとか、東武DRCとか、マイクロエースにしちゃ印象把握の良い方だから、他社からは出てくるまい。どうにか延命か買い換えを考えねばならない。ラピートはライトが暗いのもあるので買い換えを模索。

DRCは良さげな中古待ちだが、東武は8000とか集めて「東武モード」をやろうと思っているので、何らか小細工で延命を試みる。推定原因としては。

①ピニオンギアの摩耗(バックラッシュはでかいっちゃでかい)
②車軸摩耗による左右ズレ
③車輪ゴムの劣化
①はどうにもならんが後はどうにかなる。KATOの短軸ギア付きを買ってきて車輪部分だけ付け替えるのだ。

GDKBszJbIAA3DdT.jpg

ケンジントンのマウスに近い側がマイクロの車輪、手前がKATOである。マイクロの車輪はトミックスを参考にしているので、プラの軸自体はKATOより短い。一方でKATOの方にはDD54のパーツで車軸に組み込むスペーサーというのがある。これを使ってマイクロ車軸の両側にKATOの車輪を押し込むという方法が使えそうだ。

結果は追って。ああ、やっかいで鬱陶しい。


nice!(0)  コメント(0) 

東武1800系【りょうもう】

T1800.jpg

【実車】群馬県太田市周辺は戦前から工場が集まり、東武としてもこれらへ向かうビジネス客向けに急行列車を運転していた。日光線系統の「お古」が多かったが、1969年、専用車として1800系が投入され、急行「りょうもう」として運用が開始された。走行機器類は当時大量生産中だった通勤形8000系をベースとしており、Tc1-M2-M1-Tc2の4連を組み、最高速度105km/h。内装は「急行」として実用本位にまとめられ、リクライニング無しの回転クロスシートでフル空調。そして鉄道車両として初の試みとなる飲料自動販売機を設置した。好評で最終的に6両編成化され9編成製作され、ド派手なローズピンクを見せびらかせて黙々と浅草と両毛地区を行き来した。1991年、別掲100系「スペーシア」が就役すると廃車になった1720系の走行系を利用した200系が製作され、本系列は「りょうもう」の任を解かれ、日光線への転用、通勤電車化などの改造を経て2022年、使命を全うした。小学2年まで越谷の線路際で暮らしていたので、本系列・急行「りょうもう」は「身近だが乗ることのない列車」だったが、確か一度だけ父親にねだって館林まで乗ったはずである。詳しい記憶は残っていない。

【模型】模型はマイクロエース。2023年発売。着荷開封(回着整備)をしようとしたら動力は動かないわ(ギヤの外れ)ライトは点かないわ(LEDはんだ不備)令和に向かって劣化が進んでもうだめだろこのメーカって感じの仕上がり。ディテールはペラペラ。塗装はテカテカ。
【運用】東武モードの時はクリーム色の8000や営団3000と一緒なので4連で、私鉄特急大集合の時は最終仕様の6連で運転。


nice!(0)  コメント(0) 
前の10件 | -

●当社の概要
●沿革
●路線案内
●在籍車輛紹介
●掲示板
●YouTube