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グリーン車スロ62形式 [鉄道]

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【実車】形式「60」は戦後すぐの客車が不足した時代に木造車を改造して鋼製車体を載せたグループである。さてスロ62は元々普通車オハ61として製造されたもので、リクライニングシートを備えて台車も交換、オロ61となった。これを1967年以降更に冷房改造したのがスロ62で、発電用エンジンを積んだことから重くなり、重量記号が「オ」から「ス」にランクアップしている。時代は既に電車特急・急行の時代であったが冷房付きのグリーン客車として夜行急行を中心に従事、一部がお座敷客車に再改造されたほかはJR化前に夜行急行もろとも鉄路を去っている。なお、模型の付けている番号2062の経歴を追うと以下の通り。

ナハフ24606→オハ61 651→オロ61 2062→スロ62 2062→スロ81 2023

【模型】模型はKATO。10系客車と共に発売された単品販売品を購入。
【運用】主として夜行急行にくっつける。蛍光灯ピカピカ(白色LED照明)だけど。


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コンテナ車コキ5500形式 [鉄道]

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【実車】コンテナ輸送という形態は戦前から試みられていたが、戦後に5tコンテナを高速輸送する方針が打ち出され、1959年、「長物車」のグループとしてチキ5000形が登場、1962年に改良型として登場したのがチキ5500で、1965年に「コンテナ車」というカテゴリが設定され、コキ5500形となった。当初5tコンテナ5個積み(のち4個積みに改造)とし、最高速度は85km/hが許容され、現在のコキ100系フレートライナーの先駆けとなるコンテナ専用列車「たから号」などに従事した。グループ合計で3100両以上が製造されJRにも2000両以上が継承されたが、国際共通規格ISOコンテナ対応のコキ100系などの登場を受け、令和の声を聞くことなく線路上から姿を消した。

【模型】模型はトミックス。Nゲージのコキ5500はKATOがコキフ10000の台枠の塗り替えという簡易な方法で、トミックスが香港製でいずれも昭和50年代より存在。本製品は21世紀になって現行水準で再発されたもの。土日鉄道ではこれ1両の存在で「たから号」には組まず、一般貨物列車にコンテナ1両、みたいな感じで組み込んでいる。

【運用】適当。


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東武鉄道6000系 [鉄道]

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【実車】東武は1929年、日光線杉戸(→東武動物公園)-東武日光間を全線一気に複線電化開業。合わせて特急列車の運転を始めたが、特急の止まらない各駅と浅草方面への長距離利用者に配慮し、2扉クロスシート(車端部ロング)トイレ付きの車両を用意、戦後1958年より「準快速」の運用を始め、1964年、この区間の快速運転専用車6000系を投入した。McTcの2両ユニットで8000系ベースの空気バネ台車・カルダン駆動とし、運転最高速度は105km/h。日光線の連続勾配に備えて発電ブレーキを搭載し、これらの結果「もう機器を搭載するスペースがない」との理由で冷房装置の搭載・追っての冷房化はなされなかった。なお快速なので運賃(乗車券)のみで乗車できるが、同一車両を用いた「快速急行」として座席指定の「だいや」「おじか」なども運転された。ただ、この「快速急行」は「急行より速い」という意味ではなく、別掲急行車1800系(冷房付き転換クロスシート)に比して接客サービスが劣ることから「快速以上急行未満」という意味であったようだ。そのままおよそ20年にわたって浅草-東武日光・新藤原間を下今市で分割併合して馳せるわけだが1985年、新藤原より先、野岩鉄道・会津鉄道が開通し、これら線区への乗り入れが決定、本系列は冷房付きの車体に載せ替えて6050系として生まれ変わり、隅田川のほとり浅草駅から雪煙蹴立てて長駆会津高原に達した。しかし令和の世になり経年著しく、東武側の施策もあって「日光線快速」の歴史と共に2022年、虹の橋の彼方に走り去った。業平橋にそびえ立つ例の電波塔を見込んだ観光列車「634型」に再改造された4両と、6050系として仕様を揃えて新たに製造された野岩鉄道所有車4両が半分保存目的で現存している。越谷住みだったので春日部までノンストップのこいつは基本的に無縁の存在だったが、父親にせがんでDRCに乗せてもらった際、「きぬ」から日光へ向かう乗客を運ぶ下今市ー東武日光間の連絡特急に充当されていて乗った遠い記憶があるが、詳しい印象は残っていない。なお、6000系時代は「最高の乗り心地」だったとか。

【模型】モデルはトミーテック「鉄道コレクション」。22年秋再発品。鉄コレは「ディスプレイモデル」すなわち飾って眺めてねというコンセプトの商品だが、オプションの「走行化キット」と動力ユニットを組み込むと「Nゲージの線路を走ることが出来る」……ただそれではライト類は皆無で、完成品モデルの1800系、1720系に対して見劣りするほか、鉄コレ動力もイマイチ気に食わないので、別記事によるガレージメーカー商品とグリーンマックスコアレス動力で「鉄道模型化」をもくろんでいる。

【運用】東武モードで快速列車としてぶっ飛ばす……なのだが、ライト取り付け改造で走行抵抗が非常に大きく、実車現役時代に比してやや控えめに運行。

【改造】詳細は別記参照。
・パンタグラフ・車輪は鉄コレの走行化キットに置き換え。連結器は全車ボディマウントTNカプラ化。
・ISM_WORKS製集電・ライト点灯化パーツでヘッド・テール・室内灯を点灯化
・動力はGM製コアレス動力を組み込み。

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鉄コレ「東武6000系」をNゲージ化する [鉄道]

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●冒頭の能書き
昭和50年頃越谷に住んでいたボクチャンとしては、東武コレクションの優等車は当然こいつらになる。だが悲しいかなマイクロエースとはいえ完成品で出てきたDRC、「りょうもう」に比して6000系は鉄コレ止まり。なんで?地味だから?
「鉄コレはNゲージ化パーツあるやん」
そうなのだが、車輪とパンタグラフを交換し、専用動力ユニットを組み込む。それで「Nゲージの線路を走らせる」ことは出来るようになる。ただ。
・ライト類非点灯
・鉄コレ動力は土日鉄道的には難あり
ライトは自明なので動力についてブツクサ書いておく。こいつを「本家トミックスよりスムーズ」と評する向きもあるがおいらはそうは思わない。確かにフライホイール積んでいるが、それこそ東武の超多段制御みたいなゆっくりした滑り出しはイマイチだし、構造的に耐久性どうなの?と疑念を抱く簡易な構造をしている。大体、分解メンテを考慮した構造じゃない。あと、常点灯(チョッパ制御)突っ込む前からなのだが、土日鉄道で走らすと車輪が汚れやすくギクシャクしたり止まったりする。軽いのでレールへの粘着力不足だと思うが「鉛板で加重」しようにもスペースがない。
一方、鉄コレというのはシリーズの発売が開始されて20年以上が経過したが、この間の電子部品小型化と3Dプリンタの普及を踏まえ「鉄コレをディテールアップするパーツ」を販売する個人事業主・ガレージメーカが多数現れた。今回2022年秋の鉄コレ6000再発に際し上記ライト関係を調べたところ、「ISM WORKS」さんが手持ちの工具と簡易な工作で取り付けられそうな製品を発売。また動力に関しても台車枠の取り付け関係が共通なグリーンマックスコアレス動力を押し込めそうと判断したので購入に踏み切り、ライトと動力をアップグレードすることとした。以下その際の工作の記録である。

1.ライトの取り付け
●製品概要と構成
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購入したのは集電装置、ヘッド・テールライト・室内灯。

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集電は銅の成形品を車輪と軸受けの間(ピボット軸上)に載せるモノで、台車枠にドリルで穴を開け、成形品から現在のトミックスやマイクロエース製品と同様に銅製バネで取り出す。通電は導電性粘着剤を用いたアルミテープで行い、台車周りから車体内側までベタッと貼り付けて、バネから車内へ取り込み、ライト類へ通電する。ライト類はヘッド・テールがフレキシブル基板にLED類をはんだづけしたもの、室内灯はプリント基板にLED類をはんだづけしたものである。この「プリント基板に電子部品」をカスタムで作ってくれるところが増えたのは、この手の改造・ディテールアップに大きな味方。

●組み立て

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台車内側補強リブの間に穴開け。こればかりはピンバイス(ドリル)が必要。

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銅成形品の集電板をセット。OK。

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その集電板とバネで接触する車体側電極は、付属のアルミテープに同封の型紙を貼り付け、型紙の位置に書類用の穴開けパンチでガシャン。穴開けパンチを利用するのはナイスアイディア。

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フレキシブル基板に実装されたライトレンズと電子部品類。21世紀ならではの造作物。

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製品レンズを外してこの基板をはめ込み、そのためのスペースとアルミテープ配線経路を確保するため、製品のガラスパーツや運転席パーツを説明書通りに切り落とす。

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室内灯は屋根の裏に両面テープで貼る。ぶっちゃけ、集電セットだけは購入し、室内灯自体はグリーンマックスなどでも良いかも知れない。

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車体と組み合わせた集電部。ピボット軸に銅板成形品の集電シューが載り、台車に開けた穴からバネでアルミテープの集電板を経由し、車体へ引き込む。このアルミテープが入る位置は一つ前の写真の通り、車体と台枠を固定する爪の位置になっていて、車体を載せると爪が噛み込んでアルミテープの接触も担保される。

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点灯テスト。OK。集電はトミックスの旧集電(キハ10系などで継続使用)と同様なので、走行抵抗はかなり大きい。

2.グリーンマックスコアレス動力の組み込み

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単純に載せるとこう。GM動力の方が鉄コレ動力より幅が広い。従って削れば良い。逆だと大変だったところ。

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ノギスあてがうと鉄コレ15.55mmに対しコアレス16.55mm。うんはまらない。でもってコアレス両側を0.5mmずつ切り落とす。

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コアレス動力をよく見ると、蓋モールドの両側に車両側に引っかかる爪として機能するモールドがあって、この幅が0.45mm。すなわちこいつ切り取れば収まる。要するに幅の広いところと狭いところがあるので、広い方をカットして狭い方に揃える。

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床板もちょっと長いのでカット。

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床下機器。鉄コレの場合、元の床下機器を動力の床下に付け替える。このため床下機器にはハメ込み用の●ポチが付いているが、GMコアレスにこれは邪魔なので、切ってゴム系ボンドで貼り付ける。ただ、そのまま貼り付けると床下機器がかなりはみ出すので、モールドをカットする。「どうやって」となるのだが、写真矢印の通り金型の合わせ目パーティングラインが入っているので、これを目印に外側の造作を残して内側を切り落とす。

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いい感じ。なお、6000系は2両1ユニットとし、浅草からは6連で出発、下今市で分割併合……という運用が基本だったので、写真のような「先頭車同士の連結」が発生する。関連のカプラー類は皆無だったので、今回は合わせて全車TNカプラーとした。



走らせてこの通り。なお、動力ユニットの室内灯はトミックスの白色で、他の車両と点灯時の色味を合わせるため、ガンダムイエローで塗りたくってあります。GMコアレスには後から追加出来る座席モールドがあるので、黄緑色っぽいのが出たら付けてみましょう。

●特記事項
・走行抵抗はかなり大きいので、急発進/急停止すると動力台車が脱線する
・勾配については2×3の6連で当線の八巻ループ(2.3%)は登れる。
・できあがりはかなり個体差がある。鉄コレはTNカプラを正式にサポートしていない。以上よりズレや傾きが出る可能性があるので各自調整のこと。

スピード出すにはちょっと怖いんだよなぁ。越谷駅を軽やかに通過していったあの感じ出せるかなぁ。

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帝都高速度交通営団3000系 [鉄道]

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【実車】関東の私鉄は「山手線の駅」が終点で、旅客増大が見込める「その内側」へ路線を延ばすことを悲願としていた。また、このことは山手線および私鉄との乗換駅に激しい混雑をもたらしており、打開策を見いだす必要に迫られていた。そこで、都心を横切る地下鉄で私鉄同士を接続し、私鉄と地下鉄を相互直通運転する、という構想が生まれ、渋谷を起点とする東急東横線と、北千住・浅草を結節点とする東武伊勢崎線を接続する「都市計画2号線」として帝都高速度交通営団(→東京メトロ)日比谷線の建設が決定された。
すぐに相互直通の段取りが始まったわけだが、両社線は電気方式・線路幅は同一である一方、日比谷線内に急カーブが見込まれたことから20m車の導入を断念、直通車は18m3扉パンタグラフ集電(合わせて給電システム「剛体架線」を開発)最大8両とされ、これに基づいて営団が製作した車両が3000系で1961年に登場した。

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(剛体架線。名古屋市交通局だが気にするな)

当初2両であったが、開業区間の延伸と東武伊勢崎線との直通運転開始に伴い輸送量が増大、1970年には全編成8両化が完了している。車体は鉄骨にステンレスのガワをかぶせたセミステンレス車体(地下鉄=銀色というイメージの原点)、走行系は高加減速と乗り入れ先での高速運転を視野に全車電動車方式を採り、空気バネ台車に75kW電動機を搭載し戻しノッチ付き超多段制御で駆動する。内装はオールロングシートで冷房装置は搭載しない。立ち客用のつり手はバネを組み込んだプラスチックの握り輪「リコ式」を取り付けたが、後に通常のつり革に変更されている。以降10年間にわたり総数305両(事故代替1両を含む)が製作され、東横線は菊名、伊勢崎線は東武動物公園まで乗り入れ、重通勤線区の輸送に勤しんだ。なお、この区間は「東武-営団」または「営団-東急」のどちらかで、3社線区を通す現在の半蔵門線を介したような運用は存在しない。1980年代後半になると製造から20年が経過し、老朽化と何より「非冷房」であったことから後継の03系による置き換えが開始され、1994年に全車都心の鉄路を離れた。引退後は39両が長野電鉄に譲渡され1993年から令和に至る2023年まで運用し、使命を全う。台車や電動機などは富山地鉄や一畑電鉄で引き続き利用されている。越谷住みだった幼稚園坊主にとってコイツは「銀座のデパートにお出かけする電車」。地下鉄線内の急カーブでキーキーと軋り、父親に抱かれてリコ式をびよんびいよん動かして遊んで、でも後期車が増えると「ドア窓が高くて幼稚園坊主には外が見えない」から嫌いになってしまった。

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(幼児には届かないんだよ)

【模型】Nゲージの営団3000はマイクロエースとトミーテック「鉄道コレクション」で、これはマイクロの中古。たまたま、中古屋のサイトを眺めていたら転がっていたので拾った。ムラムラして東武8000も一緒に揃えた。ほぼ手つかずで換金用(クレカで決済し、すぐに中古屋に売り飛ばして幾らか現金で手元に環流する)に買ったと見られる。スタイルはもう少し丸みが欲しい気がするが何せ幼稚園児の視点と記憶。ディテールは甘い。超多段制御のズラリ並んだあっぱっぱーの抵抗器がレリーフなのは何とかごまかしたいな。18m車なのでアーノルドカプラーによる連結面のガバガバは相対的に目立つのでTNカプラにしてやろうか。

【運用】東武モードの銀一点。


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