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横須賀色はサブじゃないもん [鉄道]

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この人の歓迎会と行った案配。

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横須賀色のステイタスは基本、湘南色の線区との誤乗防止で、元・横須賀色の電車が都落ちスピンアウトで地元の色になりましたというパターンが多い。

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千葉エリアはもろにそうだし。

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この子らもそう。流電はスカ色が定着した飯田線に入って自身もスカ色にされたもの。でも、湘南色の流電は失敗した厚化粧って感じだったからいいわ。スマートだからクールな寒色系の方が似合う。



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電動客車クモハ52形式 [鉄道]

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【実車】1936年鉄道省。京都~大阪~神戸間はこの時代から省線と私鉄の競合が激しく、省線側がスピード勝負の攻めの一手として「急行電車」……現在の新快速のルーツ……に切り札として投入したのが本系列である。

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(リニア鉄道館)

当時「魚雷電車」と呼ばれた流線型車体。旅客車といえば茶色一色の中で文字通り異色のツートンカラー、しかも「大阪独自」(東京の二の次ではない)など異例づくめのデビューとなり、あっという間に人気車両になった。なお流線型車体はスピード感の演出に採用されたのだがもちろんだが、モータが強力であったり、当時は珍しかったローラーベアリングを採用したりなど、速度指向の設計がうかがえる。ただし運転最高速度自体は95キロで変わりなく、「省電」の常識を越えた速度で走っていたわけではない。好評により2次車、「半流」と呼ばれた別掲クモハ53の原型に当たるモハ43形など3次車と製造されたが戦争に突入、「急行電車」自体の運転が中止となり、活躍の場を失ってしまう。

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戦争を生き抜いた仲間は阪和線特急、更に流線型を買われた高速度試験などに使用された後、飯田線に集結。モハ52→クモハ52に形式名を変更、模型写真の横須賀色に塗られ、同線のアイドル電車「流電」として余生を過ごし、1978年、使命を全うした。現在モハ52001が吹田に、そして紹介したモハ52004が名古屋の「リニア・鉄道館」にあって、後者は車内を見学することも出来る。

【模型】模型はKATO。流電の模型は昭和50年代にグリーンマックスのキットがあったのみで、完成品の発売は21世紀になってマイクロエース、KATOは「令和最新型」である。三次元CADを駆使したであろう先頭の造作は良く実車の印象を捉えており、戦前の登場時仕様の発売も期待したいところ。

【運用】4連なので常若に止まる区間列車に従事。土日鉄道は保存鉄道でもあるからこういうのが混じっていてもいいのである。


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