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TEEラインゴルト [鉄道]

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【実車】Rheingold。「ラインの黄金」という意味で、ワーグナーの叙事詩「ニーベルングの歌」に出てくる宝物のことである。その名の通りライン川沿いにスイスのバーゼルまたはジュネーブを起点とし、ドイツはマンハイム、デュッセルドルフを経由し、オランダはユトレヒトで分割しアムステルダムおよび北海航路の接続点フーク・ファン・ホラントに至る。これは夜行の船便を同港で受けると、ドイツ、スイスへはフランス回りよりも早く到達できたことによる。1928年に運転開始、別掲「オリエント急行」を運行していたワゴンリ社の「エーデルワイス」に対抗しつつ、専用の豪華車両を投入、激しいインフレで知られる一次大戦からのドイツ復興を印象づけた。しかし、二次大戦が勃発し、一旦、運転の歴史は閉ざされる。戦後は1951年より「急行ラインゴルト」として復旧、1960年、写真のプロトタイプであるドーム展望室、食堂車を備えた全車1等車の専用客車がデビューし、最高160キロ、フーク・ファン・ホラント=バーゼル間9時間で疾走を開始する。この結果、最速・全車1等・供食サービスと「TEE」(Trans Europ Express)の資格を備え、1965年にはこの一員に加わり、フランス国鉄「ミストラル」と並ぶ最も著名なTEE列車になった。しかし1970年代後半に入ると時代は既に長距離移動は航空機であり、ドーム展望車の廃止と引き換えに写真の名機BR103形牽引で最高速度の200キロ化を実施したが、運転区間の縮小が続き、1987年、2等車の連結に至るや、TEEラインゴルトとしての歴史に幕を下ろす。ラインゴルトを名乗ることは「全車1等」の矜持を守ることだったのであろう。なお21世紀の現在は当然彼の地の新幹線に相当する高速列車「ICE」がアムステルダム=バーゼル間を運行しており、2021年冬のダイヤで6時間40分である。

【模型】Nゲージのラインゴルトは当然、Nゲージ発祥の地ドイツでは花形で、初期の「MITROPA」(ドイツ帝国による列車運行・旅客サービス提供会社)による専用客車をTRIX社が、ドーム展望車時代をTRIXおよびNゲージを初めて生産したARNOLD(アーノルト)社が、末期のTEE共通に使われた客車を両社およびFleischmann(フライシュマン)社が発売。土日鉄道にいるのはアーノルト社の4両セットに単品の1等車を2両加えたものである。ドーム展望車と隣接食堂車は厨房の位置等で実物に即した連結位置になっているが、あとは全くの「適当」で、ほぼ架空の編成である。

【運用】大抵、別掲VSOE(ヴェニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス)とすれ違い方向に機関車交換しながら運転する。スイス国内はAe6/6、ドイツは当然写真の103型、オランダ国内はNS1700を起用。


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