SSブログ

モハ80系(電動客車形式80) [鉄道]

IMG_0099.jpg

【実車】電車自体は明治の頃には走り始めていたが「大都会の短区間」乗るもの、という扱いだった。これは大都会では列車本数を多くする必要があるが、加速が鈍く終点で付け替えを必要とする蒸気機関車には不得手な話で、即、向きを変えて走り出せる電車が有利であったことと、電車は床下に動力があってうるさいのだが、それも都会の短区間「ちょい乗り」なら耐えられるという需要と供給のマッチングに基づく結果だった。ちなみに「下駄履きでもひょいと乗れる」気軽さがある、という意味で、別掲72系に代表されるこの種の都会の電車を「ゲタ電」と読んだ。一方、戦後の復興期に入ると、当時沼津まで電化されていた東海道線の需要が増え、列車本数を増やす必要があったが、電気機関車の牽引とは言え「付け替え」の手間は残っており、本数増加は限界に来ていた。そこで「電車はちょい乗り」の常識を覆す「東京-沼津・伊東」間の電車列車化が計画され、1950年、モハ80・クハ86・サロ85・サハ87・モユニ81(→クモユニ81)からなる一連の電車群が出現した。これがモハ80系で、程なく現行Eナンタラ系に連なる「湘南電車」と呼ばれることになる。この車両群は以下の点で当時の電車と異なる。
・客車並みの内装・設備を持つこと
・モータ付き=運転台付き(これは路面電車時代の派生)という発想を脱却、運転台の無い「中間に連結されるモータ付きの車両」を生み出した
・製造、保守管理は編成単位

結果、その速さは当時の特急列車並みとなり、可能性を見いだした国鉄は準急列車として本系列を抜擢、ここに「電車による長距離高速運転」という一つの方向性がまとまることになった。その延長線上である新幹線が開通するのはこの14年後のことである。その後本系列は全金属製車体を持たされ東京-名古屋間準急「東海」名古屋-大阪間「比叡」を持って吊りかけ駆動旧形電車の掉尾を飾った。また、この2枚窓の正面デザインは「湘南顔」として親しまれ、渋谷駅前にあった東急5000など、私鉄にも影響を及ぼした。以後、111系等新性能電車が登場すると地方へ転属し各地の電車化に貢献、昭和のうちに生涯を終えている。最終末期の姿を篠ノ井線で見かけたが乗ったことは無い。

【模型】模型はKATO。最初の製品。および動力換装目的で令和に出てきた「飯田線仕様」の混成。全金属車なのでつるつるぴかぴかの出来上がりであり、あまりこう「老骨にむち打ち走る旧形国電」みたいな部分は無いけどまぁいいわ。単品でクハ85あり。

【運用】基本的に2等車2両込み10連に組んで準急「東海」や東海道線普通列車。国鉄時代の中央西線を模した4両もあり。

【改造】全車車輪をホビーセンター謹製スポーク車輪に変えてある。また、動力車のみ飯田線仕様のフライホイール付きとし、カプラーを変更、勾配対策でゴムタイヤを3軸としてある。


nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

●当社の概要
●沿革
●路線案内
●在籍車輛紹介
●掲示板
●YouTube