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土日鉄道名鉄祭 [鉄道]

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●はじめに
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鉄道模型の車輛製品は国鉄-JR型が圧倒的に多い。
走っている範囲が広いので多くの人が欲しいと思うからだが、比して私鉄車は特急型だけ、という場合が多かった。
事情が変わったのがここ10年ほどのことで、車輛形式の多い会社・大手などを中心に発売が相次ぎ、愛好家のサイフを痩せさせた。名鉄もその一つで、30年前はパノラマカーだけしか無かったのに、新旧の主だった車輛があっという間にラインナップされてしまった。殊に名鉄の場合、普通・準急・急行・高速(現在の一般車特急)・特急・快速特急と種別が多いこと、会社が貧乏ということもあって、ごく近年まで半世紀も前に設計されたボロ電車が健在だったこともあり、いろいろごちゃまぜて走らせて楽しいし違和感が無いという希有の愛好家向きになった。
土日鉄道はその出自から名古屋を切り離して語ることはできず、無論名鉄も視野に入るわけだが、そういう経緯から名鉄車だけで目一杯遊べることになってしまった。
おっと能書きが長すぎる。中身に行こう。
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3700系(1957年)
3700を名乗る車輛はこの前にもいたが、転出したのでこいつがその番号を付けることになった。古い木造の電車に日本車輌製造が用意した汎用車体を載せたシロモノ。そんな出自だが1996年まで動いていた。
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5500系(1959年)
日本初の「特別料金無しで乗れる冷房車」。技術的にはかの有名な7000系「パノラマカー」の先達に当たり、混結することもできる。組み替えに便利で足も早いことから重宝されたが、2000年東海豪雨で使用不能の車輛が現れたのを契機に急速に淘汰され、2005年に消滅した。
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3300系+3150系(2004年)
近年おなじみステンレス電車。4両が3300、2両が3150を名乗る。室内はクロスシート(ボックスシート)とロングシート(ウナギの寝床いす)の混成。大人しい顔をしているが120キロで走れる。
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モ750(1928年)
元の形式はデセホ750。現行名鉄の母体の一つ、名岐鉄道にいたが、電圧変更などから流転を経て1964-65年に瀬戸線、揖斐・谷汲線に移籍、長く働いた。ちなみに走行電圧は750Vであり、他に紹介している車輛達と同じ線路を走ることは出来ない。晩年は揖斐・谷汲線に集約され2001年廃車。
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1000系+1200系(1988年)
パノラマカーの正統なる後継、「パノラマスーパー」を名乗り、豊橋-岐阜間・内海-犬山間などを中心に活躍。本来は4両全車指定席の特別車・両先頭ともパノラマ構造で登場したが、需要バランスから転換クロス特別料金不要の一般車を連結することとなり、1000系2両と一般車部分1200系4両で6連を組む。更新の時期は近いが果たしてパノラマカーの系譜は維持されるのか。
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1800系(1991年)
一般車の増結、兼、ローカル運転用に製造された。中身は1200系と一緒。パノラマスーパーの岐阜方に連結されて、名鉄最長の8連に組んで120キロでブイブイ走るほか、岐阜-新羽島(岐阜羽島)や、須ヶ口以遠の岐阜口、東岡崎以東などでのんびり鈍行2輛編成も多い。ある意味両極端にして名鉄らしい姿を見せる。
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1600系(1999年)
中部国際空港の開港も視野に入れた試作要素の多い特急車。3輛1ユニットで運転されるが、併結運転では通れない区間があったり、急勾配を有する名鉄名古屋駅前後の通過に難があったりした。等から少々不遇な存在で、2008年、改造され1700系とされ、2300系と組んで特急の「特別車」として走っている。
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6600系(1978年)
他の路線と離れている瀬戸線の車輛は、本線系の「お古」が多かったが、地下化・栄町乗り入れ・架線電圧向上(1500V化)などを視野に導入された瀬戸線専用車。2輛編成6組、小型クロスシート、冷房無しという仕様で登場。追ってロングシート化、冷房化がなされ、乗客増に伴い4連3本に組み替えられ活躍した。瀬戸線には現在最新鋭の専用車4000系が増備中で、6600系は次々廃車、最後の4連組1本のみになっている。
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(キハ)8500系(1991年)
名古屋から観光地高山へは、国鉄(JR)経由の場合、岐阜へ出て折り返しとなる。一方、名鉄だと犬山線鵜沼近辺までショートカットされる。そこで別掲モ750の時代から、名鉄から高山本線乗り入れの列車が設定されていた。これはその最後に当たる車輛で、それまでの8000系気動車「北アルプス」の老朽置き換えで登場、JRキハ85系と同一の動力システムを搭載、一気に大出力化と近代化を図ったが、東海北陸自動車道の開通などにより乗客が減少、2001年、「北アルプス」廃止で運命を共にした。しかし製造後10年は余りに新しく、福島の会津鉄道に譲渡され、快速「AIZUマウントエクスプレス」として会津若松や東武鬼怒川温泉まで顔を出し、模型さながらの並びを数々見せてくれたが、特急車に普通・快速の運転スタイルは合わず急速に老朽化、2010年に廃車された。
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3500系(1993年)
オールロングシートのごくスタンダードな通勤電車。VVVFインバータ制御、最高速度120キロ、MBS-A型ブレーキシステムなど近年の名鉄の標準仕様を作り上げたと言える。ブレーキ方式の違いから6000系に代表される従来車との混結は出来ない。
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7000系(1961年)
イタリア「セッテベロ」に範を取る前面展望車を備えた画期的な車輛「パノラマカー」。前面展望と「パノラマ」の語は名鉄を象徴する車輛として長く愛され、本線はもちろん、支線区まで縦横無尽に活躍した。別掲1000系「パノラマスーパー」や中部空港アクセス特急2000系「ミュースカイ」に道を譲り2008年に廃車。
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モ510(1926年)
このクラシックな小型電車は大正15年、時の美濃電気鉄道が製作したセミボ510形で、今を華の校外直通型路面電車LRTのコンセプトを持つ車である。以後名鉄への合併と同社の変遷・施策と共に流浪し、最終的には揖斐線に落ち着いて長く働いた。晩年はそのクラシックスタイル自体が集客要素となり、鉄道友の会エバーグリーン賞なども受賞している。パンタを下ろしたのは2005年で、実に79年にわたる活躍であった。故郷である旧美濃市駅などに数両保存。
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2200系(2005年)
中部国際空港の開業に合わせ、別掲の全車指定席(特別車)仕様の2000系と同時に登場した特別車・一般車混成仕様。同一のデザインコンセプトだが、青ベースの2000系に比し赤ベースで、2000系の愛称「ミュースカイ」に引っかけて「赤みゅー」等と呼ばれる(ファンの呼び名であって正式名称では無い)。
なお、名鉄は従前よりパノラマスーパーを範とする1000系+1200系混成による特別車・一般車特急を走らせているが、その後暫くは本系列による増備が続いている。「パノラマカー」の系譜は果たしてどうなる?
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1000系(1988年)
前出の特別車+一般車混結に対し特別車のみの4輛編成「パノラマスーパー」。観光要素の強い犬山-内海間などに主として使用されていたが、ミュースカイを除く全車特別車特急の廃止施策に伴い、このスタイルの編成は2008年廃車された。なお走行機器を流用した通勤電車5000系が誕生している。
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(キハ)8000系(1965年)
犬山線新鵜沼より国鉄高山本線に乗り入れて高山を目指す準急「たかやま」号として製造。駆動機器は当時の国鉄急行型気動車キハ58に範を取るが、内装は国鉄に負けじと超キアイを入れ、当時としては破格の冷房付きロマンスシート車となった。「それで準急料金じゃ商売あがったり」と国鉄に文句付けられたとか。追って急行・特急と順調に格上げされ、特急「北アルプス」として活躍、富山まで足を伸ばし、更に富山地鉄の線内特急として宇奈月温泉まで入っていたという希有な経歴も持つ。前出8500系の登場により1991年廃車。
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2000系(2005年)
中部空港アクセス特急「ミュースカイ」全車指定席・特別車で、4輛1ユニット、最大8両に組み空港-名古屋-岐阜・犬山を走る。カーブの多い常滑線での速度向上を目して車体傾斜システムを搭載、最高120キロを実現。文字通り現行名鉄のスタートレイン・稼ぎ頭である。
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●おわりに
模型遊びという視点で名鉄のいいところは、新旧ごちゃ混ぜ、特急だらけでも良いこと。だって現物がそんなもんだから。最近の新車はスッキリしすぎというか合理化が効きすぎて正直つまらんが、パノラマ後継車など期待させてくれる要素はまだまだ沢山。
頑張って走れ、名鉄(^^)v
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