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101系 [鉄道]

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【実車】令和の今を走る全てのJR電車の始祖。1957年「モハ90系」として登場し、それまでの電車と以下の点で設計思想が大きく異なる。

①車体構造
それまでの電車は台枠(コンテナの乗ってないコンテナ貨車みたいなもん)で必要な強度を確保し、その上に車体を載せた構造であった。これは木造車、更に古くは母体となった「馬車」の構造を引き継いだ故だが、本系列以降は台枠と車体が「一体の箱」となって強度を維持する構成となり(セミモノコック構造)、全金属車体ながら軽量化と強度向上が図られた。
②モータ装架・動力伝達方法
それまでの電車は主電動機を台車枠と車輪大歯車の間にまたぐように載せる「吊りかけ式」であった。

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(東京メトロ地下鉄博物館)

この方式はモータ荷重が車軸に直接加わるため、空転しにくいという利点はあるが、車輪が拾ってくる振動、歯車かみ合いの騒音などが台車枠を通じて車体に伝わり、ゴーゴーという騒音(いわゆる「つりかけの音」)、ゴツゴツした乗り心地の原因となっていた。本系列以降はモータそのものは小型化して台車枠に固定、車軸歯車とはねじれや位置ずれに対応した継ぎ手機構を有する回転軸で接続する「カルダン(cardan)駆動」を採用。騒音・振動をシャットアウトすると共に、高速高回転のモータとすることで俊敏な加速を可能とした。
③ブレーキシステム
それまでの電車は運転室でブレーキ弁を操作し、圧縮空気でブレーキシューを車輪に押しつける方式であった。しかし、空気圧の伝搬に時間を要し「効き始め」が遅くなるほか、積載荷重(乗客数)でブレーキ力が変わるため、適切なブレーキ力を得るのに運転士の技量に大いに頼るところがあった。本系列以降は運転室から各車両のブレーキシステムの作動を電気信号として遅延をなくすと共に、主電動機を発電機として運転し、主抵抗器で消費させる「発電ブレーキ」を併用。即動しブレーキハンドルの位置で荷重によらず常に同じ減速度が得られる発電ブレーキ併用電気指令式となった。

以上より得られた動力性能は俊敏かつ高速で、それまでの電車を「鈍重」の世界に追いやる次元で画期となり、以後、本系列以降の電車を「新性能電車」、以前の電車を「旧性能電車」と呼ぶようになった。狙い通りの性能に国鉄はただちに特急・急行への応用を開始、特急型151系(←旧称モハ20系)の登場は翌年1958年、そして新幹線電車0系の登場は更に6年後の1964年である。なお、現下令和の電車はVVVFインバータ駆動・回生ブレーキ併用全電気ブレーキ・ボルスタレス台車といったところが標準仕様だが、モータから車輪への動力伝達はカルダン機構であり、モータを発電機として運転してブレーキを得るところも変わらない。ボルスタレスは車体軽量化で採用可能となっただけ……と、「101系の応用」であることに変わりはない。ちなみに本系列は「国鉄電車と言えば茶色一色」の時代にオレンジバーミリオンをまとって登場したわけだが、その色と、大きな前面窓、そして蛍光灯照明のもたらす明るさから、当時の丸の内OL(死語)から「金魚」と呼ばれていたという。幼少越谷市民としては思い出はもちろん武蔵野線で、当時珍しかった自動改札機パッカーン通して乗った電車は、バキバキに加速して隙間風にドアやガラスをバリバリ言わせながら突っ走る「全然止まらない(東武伊勢崎線に比して駅間距離が長いので高速で飛ばす)」、エモい電車なのであった。令和の今、譲渡車を含めて動いているものはもちろんいないが、愛環100系に流用されたメカだけは同車の「えちぜん鉄道」への譲渡に伴い21世紀に入ってなお現役であったが、モータがMT54に換装され命脈は尽きている。京都の鉄道博物館にカットモデルが展示されている。

【模型】模型はKATO。同社は創業期に当時最新の103系を模型化し、それで通勤車の用途は賄えたことから模型化は大いに遅れた。鉄道の記念碑的な車両を特別仕様で模型化する「レジェンドコレクション」第1弾に抜擢されようやく模型化。土日鉄道のものは追って一般仕様で発売されたM'cMTTM'Mcの6連である。フライホイールでよく走り、ディテールはスッキリしっかり。

【運用】当然?武蔵野線モードで貨物列車の谷間に走行。

【改造】武蔵野線仕様ということで、グリーンマックスのパーツを使って番号は1000番台にしてある。


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